70年代前半の創業当時、日本の縫製機器産業は成長の一途をたどるのですが、私自身がアメリカ南部の町で中古ミシンの修理の丁稚を少ししていた1976年頃でも、(当時は巨大縫製品産地だった)アメリカで、ミシンといえばシンガー、ユニオンで、次いで欧州ブランド、日本のブランドは、ようやく少しづつ、東海岸で出回ってきた、という様子でした。 車をハイウェイ吹っ飛ばして一日がかりで訪問した、アメリカのジーンズや肌着などの大規模縫製工場でも、日本製ミシンには、ほとんどお目にかからなかったですよ。
で、日本から輸出する補修用部品の大半は、欧米メーカーのミシン部品を倣ったもので、いわばジェネリック、国内数多くあった部品メーカーさんの製造現場には、図面がなく、ジグだけで部品製造が行われていたことも珍しいことではありませんでした。
当時はまた、欧米の展示会へ行く時はめぼしい商品の(コピー作りたいから)写真をとってこい、なんて依頼も取引先から受け、真面目にそれをやると、欧米の出展者から迷惑そうな、あるいは憐憫の表情を見せられたこともありました。
(他国のことはあまり言えない、というのが率直な思いです。)
「安くて十分使用できる」補修部品や機器は、しかしながら世界中の縫製工場で重宝され、私どもも「木箱何十、何百」という単位で欧米各国に輸出していたそうです。 円も $1=\360 から、変動相場制になって\270になった時は日本沈没かと思うほど大騒ぎになったらしいです。
時はめぐり、80年代、90年代の日本製縫製機器の隆盛期を経て、21世紀を迎えても、質量ともに世界一を誇った業界でしたが、気がつくと縫製産業自体は海外に移り、やがて追うように機器や部品も海外で作られるピッチを上げました。Made in Japan とは言わず、Made by Japan と呼ぶようにもなったり、ね。
しかし、それでもなお、日本で作られる縫製機器用部品・資材は世界の中で重要な地位を占めます。 縫製のような人手がかかる仕事は低労賃の地域へ移動するのですが、そこではまた競争が生まれ、どこであっても、より生産性が高くて精度も高いもの、安全なものが必要とされるようになるのですね。
縫製=アパレル というわけでもありません。 自動車関連(エアバッグ、シートなど)や住宅関連(家具、カーペットなど)はもとより、ロジスティック革命を起こしたコンテナバッグなどの容器包装関連、医療現場や建設現場など、人間がより心地よく生活する場では、「縫製」は欠かせません。 ドーム球場の人工芝にだって、魚獲る網にだって、消防ホースにだって、「縫い目」がありますよ。
株式会社シロ・インターナショナル・コーポレーション 早川 淳志